コラム2 映画で探す支配戦略 インディ・ジョーンズ最後の聖戦

支配戦略は最も合理的な戦略だが、「見つけるのは難しいんじゃないのか?」と思うかもしれない。

ここでは、映画「インディー・ジョーンズ~最後の聖戦~」という映画の最終場面から支配戦略を考えてみよう。

インディー・ジョーンズの時代はナチスドイツの1930年代で、とにかく、主人公が死にそうになる。ストーリ-は、キリストの聖杯について、その力を悪用しようとするナチスと、必死に守ろうとする考古学者インディ親子の奪い合いだ。(ストーリーが気になる方は見た方が早い。)

その映画の最終場面では、聖杯の地のすぐそばで、インディの父ヘンリーが致命傷を負ってしまい、このまま放っておくと死んでしまう。父ヘンリーを救うには、聖杯の治癒力を使うしかない!という状況だ。かくして、インディは、「よー生きとるなー」と思うくらいの挑戦をかいくぐり、聖杯の地にたどりつく。

そして、インディは最後の挑戦を迎える。その挑戦とは、「何十杯もある聖杯の中からひとつ本物を見つけること」。

杯をとって泉の水を汲んで飲み干すと、本物なら生命力を与えられ、偽者なら死亡する。ナチスのリーダーは永遠の命を求め、杯を手にして水を飲むが、悪者らしく偽物でありあっけなく死亡してしまった。

次はインディの番だ。本物の杯がどれかはわからない。父ヘンリーは瀕死状態で、父ヘンリーに本物の聖杯で水を飲ませて助けることが目的だ。この場面で、インディはどうするのがいいだろうか、支配戦略から探ってほしい。

答えを考えながら、映画でインディがどうしたかを語っていこう。

インディは「見分ける方法はこうするしかない!!」と叫び、木製の杯を手にし泉の水を汲み自分で飲み干したのだ。「自分が死ななければ、これが本物だ!」というわけだ。もちろん、見事、正義の使者らしく本物を一発で引き当てたインディは、父ヘンリーに急いで聖杯で水を飲ませ蘇らせたとさ、めでたし、めでたし。

本題に戻ろう。支配戦略はわかっただろうか?答えは、「どれか杯を選び、水を汲み、父ヘンリーに先に飲ます」だ。父ヘンリーはこのままでも死んでしまう。それを見越して、酷いようだが先に父ヘンリーに飲ますのがミソである。それぞれの場合を比較してみよう。

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もし、本物の聖杯だったら、どちらも結果は変わらない。しかし、もし偽者だったら、どうだろう?インディが先に飲むより父親が先に飲んだほうが、インディが生き残る分、結果は良いはずだ。つまり、父ヘンリーに先に飲ませることは支配戦略(弱支配戦略)なのだ。つまり、インディ博士は支配戦略を見つけられなかったのだ、なんて非合理的な!

とまぁ、映画の感動的な場面、差し迫った場面ではアレ?と思うようなことも多い。もちろん、感動を起こす道徳的な価値などを無視しているが、支配戦略を知り、いつもと違った視点から、物事を見るのも、それはそれで楽しいので覚えておこう。