合理的は望ましい??パレート最適とナッシュ均衡1

それでは話を本題に移そう。ルパンと次元の話だ。2人とも合理的に行動した結果、お互い自白をしたのであった。1人1人の行動は合理的で、自分の状況を良くしようと行動したのは、前に見た通りだ。

しかし、この結果は1人1人ではなく、2人にとっては、果たして望ましい状態だったのだろうか?ここではまず、「2人にとって望ましい状態」の判断基準というものを、ちょっと軽いお話程度に、経済学の分野から紹介しよう。

経済学で「社会的に(みんなにとって)望ましい(ハッピーな)状態」を表す、最も有名なものにパレート最適がある。ルパンと次元の例では「みんな」とは「ルパンと次元の2人」であり「ハッピー」とは「刑期が短い」ということだ。

パレート最適とはどういう状態か?というと、これは「他の人を不幸にすることなく、自分が最もハッピーになっている状態」である。つまり「みんなが、他の人に迷惑をかけない限り、自分はこれ以上ハッピーになれない状態」であり「他の人と同時に、お互いがこれ以上良くなるなんて都合のいいことはもう起こりえない状態」とも言える。

こういう状態が社会的に望ましい、こういう状態を目指そう、というひとつの基準がパレート最適である。単純に刑期の足し算で一番小さいもの、というわけではないのだ。

ここからは、少しだけ、学生の勉強ちっくな説明になるので飛ばしてもらっても構わないが、「パレート最適な状態=社会的に望ましい状態=これ以上得をするには、誰かの犠牲を伴う状態」ということは覚えておこう。ここではルパンと次元の例で、パレート最適を考えてみよう。